息子が 中学生の頃、
百人一首の大会があり、
それに向けて 親子で奮闘した思い出がある。
覚えも 要領も 私が一番鈍く、
若く澄み切った頭脳の息子が羨ましく、
悔しい思いもした。
その中で
心に残る記憶は、息子から
歌の意味を しょっちゅう尋ねられ、
それに対して どう答えようかと考えたり
一緒に話し合ったりしたことだ。
現代に生きるものとして
推しはかることしかできない歌の世界でもあるが、
その気持ちは 感じとることができる。
ただ、まだ中学に入ったばかりの
息子に 伝えきれる術もなく、
浅学未熟なゆえに、
「これから多くの本を読んだり
素敵な恋愛ができると良いね」と
最後は締めくくったように思う。
大会に臨んだ息子は
そんな母とのやりとりなど 忘れ、
夢中で競技に挑み、
今では すっかり忘れている一片だと思うが、
ひと時、
古雅で美しい言葉に触れ、
純真な息子と 語り合った時間は
母としての 素敵な思い出である。
私が好きな歌の中で
幼い息子と 語りきれなかった二首を
ここに 記しておきたいと思う。
君がため惜しからざりし命さへ
長くもがなと思ひけるかな
あなたにお逢いするためなら惜しくはないと思っていた
この命までも おあいできた今朝は、
このまま長くあってほしいと思うようになりました。
瀬をはやみ岩にせかるる滝川の
われても末に逢はむとぞ思ふ
瀬がはやいので岩に堰きとめられた滝川が
割れても末には流れ合うように 恋しいあの人と たとえいったんは別れても いつかはきっと逢おうと思う。
現代語訳
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百人一首ハンドブック